さとうゆうき君の手紙 ― 2011/08/18 00:24
『お父さんへ
12年間育ててくれてありがとうざいました。
言うことを聞かなくてめいわくかけて。
きたけど、心の中では、感謝していました。
本当にありがとうございました。』
佐藤 雄樹くん 石巻市針岡、大川小6年 享年12
「小学校も卒業だからと、学校の先生が子どもたちに、家族に送る手紙を書かせたんです。
ほとんどの児童は三月二日に開かれた参観日に親に手紙を渡したのですが、うちの子は、その時は照れて私に
渡さなかった。「後で渡す」とその場はごまかした。
私がその手紙のことを思い出したのが三月十日夜です。「雄樹、あの手紙は?」ってきいたら、「これ」って手渡した
のが、冒頭に「お父さんへ」と書かれた四行きりのこの手紙です。
「12年間育ててくれてありがとうございました」「言うことを聞かなくてめいわくかけてきたけど、心の中では感謝して
いました。本当にありがとうございました。」と、すべてが過去形になっている。 まるで、遺書のような書き方になって
いる。
なぜ、思い出したのが地震の前日だったのか。今から考えると不思議な気がします。」
-- 父・佐藤 和隆さんの話
--
すみません、いけないと思いつつ全文引用になってしまいました。 一昨日ご紹介した『中央公論9月号』の巻頭特集の『震災追悼企画』でとくに印象に残った(涙が止まらなくなった^^;;) 一文です。 お父さんの文章も、淡々としすぎてよけいに....。
12年間育ててくれてありがとうざいました。
言うことを聞かなくてめいわくかけて。
きたけど、心の中では、感謝していました。
本当にありがとうございました。』
佐藤 雄樹くん 石巻市針岡、大川小6年 享年12
「小学校も卒業だからと、学校の先生が子どもたちに、家族に送る手紙を書かせたんです。
ほとんどの児童は三月二日に開かれた参観日に親に手紙を渡したのですが、うちの子は、その時は照れて私に
渡さなかった。「後で渡す」とその場はごまかした。
私がその手紙のことを思い出したのが三月十日夜です。「雄樹、あの手紙は?」ってきいたら、「これ」って手渡した
のが、冒頭に「お父さんへ」と書かれた四行きりのこの手紙です。
「12年間育ててくれてありがとうございました」「言うことを聞かなくてめいわくかけてきたけど、心の中では感謝して
いました。本当にありがとうございました。」と、すべてが過去形になっている。 まるで、遺書のような書き方になって
いる。
なぜ、思い出したのが地震の前日だったのか。今から考えると不思議な気がします。」
-- 父・佐藤 和隆さんの話
--
すみません、いけないと思いつつ全文引用になってしまいました。 一昨日ご紹介した『中央公論9月号』の巻頭特集の『震災追悼企画』でとくに印象に残った(涙が止まらなくなった^^;;) 一文です。 お父さんの文章も、淡々としすぎてよけいに....。
実は、前にも書いたけどここ数週間・数ヶ月、なにかモヤモヤとしたものがあってたまらなかった。 確かに最初のうちは、とてつもない事故を起こしてしまった東京電力であり(実はそれ以外にも、日本郵政/郵便局会社そしてJR東日本)、その後の対処における後手後手・不手際の政府・行政への怒りだったのだけれども、ある時点からそれがどうも違うと思えてきた。今は、たとえば 『新勝寺に匿名の抗議電話』 だとか 『給食を拒否して弁当持参を要求』 なんて文字にこそ『ものすごく嫌です!』 と思うようになってきている自分が居る。 なぜだかよくわからないけど、嫌なものは嫌だ! ヤダっ!
畝山さんの言葉で、そのモヤモヤがぐさっと串刺しにされて、向こう側の壁に張り付いて晒された。 これが正体か。
集団ヒステリー、一斉にあっち向いてホイッ、そのうちに記憶からもホィッ、いつも繰り返す悪い癖じゃないの? 食の安全・安心、それよりも個々人レベルでの 『食の安全保障』 をまじめに考えようよ。 放射能ヒステリーは、もう卒業しようよ!
ああ、腹のそこを少しはだせたか? クレーム大歓迎!
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