45年前の小学生からの手紙2012/02/05 17:43

日曜日の昼下がり、小学生の翔太はおうちで独りでお留守番。勉強に飽きて、ゲーム機でしばらく遊んでいるうちにうとうとし始めていた。 すると....

  画面: 『翔太くん、こんにちは! 起きているかい?』
うとうとから気がついた翔太、びっくりして画面を覗く。
  翔太: きっ、君はだれ?
  画面: おどろかしてゴメン、「45年前の小学生」の武志(タケシ)
      です。 まぁ、君の大先輩ってとこかな。
  翔太: えぇ~?! 45年前の? どうしてここへ?
  武志: うん。 君のパパとママ、最近おかしいと思わないかい? 
      今日も放射能の勉強会だろ? 
  翔太: うん、妹の真理をつれて午後ずっと。 僕はお留守番。
  武志: 翔太、さみしいだろう? せっかくの日曜日なのに。
  翔太: そりゃそうだけど、放射能があぶないって 特にママが
      すごく心配しててさ。 しょうがないかなぁ~ って。
  武志: 心配しすぎなんだよ。 それでね、今日は翔太からママに
      安心してもらえる「証拠」を見せてあげて欲しくてここに
      来たのさ。
  翔太: 安心できる「証拠」ってなに? 僕がママにそんなこと、
      説明できるの? 
  武志: そうさ、簡単なこと。 その証拠は「僕」さ。
  翔太: えぇっ? よくわからないよ~!
  武志: 45年前にも今と同じように、放射能が強い時代があった
      のさ。 原因は、原発事故じゃなくて、核実験だったんだ
      けどね。 それで日本中、いや世界中のみんなの食べ物に
      も放射能が入ってしまったんだ。
  翔太: それでどうなったの? 
  武志: 食べ物に放射能が入った場合特に子供への影響が心配なのさ。
      病気にかかりやすい子が増えたりとかしないかと、ね。
  翔太: それで、45年前は実際は どうだったの?
  武志: その頃、僕らは小学校で放射能のことなんか何も知らなかった。
      大人も普通の人は知らなかったと思うよ。気にもしてなくてね。
      まだ日本が貧乏な時代だから、栄養も今みたいにもじゅうぶん
      じゃなくて。 だから、学校の給食がとても楽しみだったんだ。
  翔太: 給食はぼくも好きさ、みんなとわいわい食べるの楽しみだよ。
  武志: そんな僕らの時代でも、あの頃の放射能のレベルではとくに
      影響はなかったみたいなんだ。 友達もみんな、45年後の
      今もだいたい元気でいるよ。 事故や、別の原因の病気で亡く
      なった人は少し居るけどね。
  翔太: でも今回の事故の放射能のレベルはどうだったの? ずっと
      強かったんじゃない?
  武志: そうなんだ、そのデータがずっと無くてね。 それでみんな
      よけい心配しすぎて、細かい数値だけに眼をとられていたんだ。
      でも、先日ようやく数値が見えてきた。45年前とそれほど
      変わらないくらいだった、原発に近い県でもね。 東京なら
      もうほとんど、ひと桁少ないくらいだった。
  翔太: じゃ、心配ない?
  武志: そりゃそうだ。ボクが証拠だっていっただろ。10倍くらい
      強いなかで、小学校低学年間過ごしてきたけど45年後の今も
      何もかわらず、元気にこの文章を書いているよ!
  翔太: わかった! タケシが『証拠』なら、間違いないね。
      ママに言ってみる、そしてこれからは日曜は家に居てねって!
  武志: そうだね、好きな料理作ってもらいな。 好き嫌いしないで
      バランス良くなんでもしっかり食べるんだぞ。
      じゃそろそろ失礼するよ、書き終えちゃわないといけないので。
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  タケシが「書き終えた」文章が、こちら です。 どうぞお読み下さい。

 タケシと同じような年代の皆様、同じような意見をお持ちの方、ぜひ周りの方に教えて
さしあげましょう。 我々が 『証拠』 であることを。 無用な心配は 不要であることを。